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多様性を考える 後編 ー映画 Codaあいのうたー

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多様性のために犠牲は必要か?

先日、『Codaあいのうた(2021.1公開)』を鑑賞しました。

サンダンス映画祭で、観客賞を始め史上最多の4冠に輝いた映画です。

この映画は、2015年に日本で公開された『エール!』というフランス映画のハリウッド版リメイクになります。

今回は、前回のブログの続きです。

多様性(Diversity)の尊重される社会のために、達成されるべき、要素のうち
犠牲?需要?包摂?参加?公平?(Sacrifice/Acceptance/Inclusion/Participation/Equity)
の中から、映画の内容も絡めて、
抱き合って、助け合ってきた「家族」が、さらに絆を深める、本作品を通して、
「犠牲」と「参加」について、お話していきたいと思います。

映画 【Coda あいのうた】 と 【エール!】


Codaとは、Children of Deaf Adultsの略語です。

クラシック音楽用語では、「末尾」「最後部」という意味で、楽曲の最後に曲全体を締めくくるためにつけられた部分のこと、つまり、新たな章の始まりという意味も込められているようです。

私は、『エール!』を以前に鑑賞し、感動したので、『Codaあいのうた』もぜひ見たいと思っていました。

『エール!』

フランスの感動作『エール!』が公開 | チケットぴあ[映画 洋画] (pia.jp)

両作のあらすじ
両親と兄弟が耳の聞こえない、家族で一人だけ耳が聞こえる主人公は、幼いころから家族のためにいつも通訳として家業の手伝いも欠かさず行ってきました。
高校生になった主人公は憧れの同級生と一緒の選択授業を受けるために、合唱クラブを選択。その中で、顧問の教師に歌の才能を見出され、首都にある音楽大の受験を勧められます。
自分のやりたいことと、家業のみならず、地域の人たちとのコミュニケーションをとっていかなければならず、歌声が聞こえない故に家族には反対され、主人公は悩みます。
その先にある主人公たちの成長とは…といった内容です。

『Codaあいのうた(2021)』は、『エール!』のリメイク作品ですので、ストーリーは似通っていますが、相違点もあります。

例えば、フランス版の『エール!』では、兄弟は弟で設定されており、家業も酪農で描かれています。

『Codaあいのうた(2021)』では、兄弟は兄であり、家業は漁業です。

これらの相違点に伴い、家族新たな変化に対する「決断」は異なります。

どちらの作品も素晴らしく、甲乙つけがたい良作です。

さて、この映画の特筆すべきポイントは、耳の聞こえない家族は耳の聞こえない俳優さんたちが演じられているということです。

そして、障がいを持った人が物語で描かれる時にされがちな、美化がされておらず、等身大の描かれ方をしています。

父親の選ぶ言葉としての手話は、やや乱雑ですし、利己的で排他的、時に差別的ともとれる行いもします。

母親は、愛情深い人物として描かれてはいますが、そのために耳が聴こえる主人公を、自身の生まれつきの障がいがゆえに、心から理解できないことに恐怖を感じたり、心の葛藤を手話で、情感豊かに表現します。

兄弟は、両作品の中で比較的、外のコミュニティに向けて両親よりオープンな立場です。物語の中で、家族を支えていくキーパーソンとして活躍します。

思いやりの裏返し=偏見やステレオタイプという考え方


ここで、【家族】という強い絆が生み出す、集団所属意識が、ポジティブな面とネガティブな面で対人関係に影響します。

人は、社会的アイデンティティを保つため、自分の所属するコミュニティにポジティブな感情を持つよう動機づけられています。

裏を返せば、ネガティブな感情は、原因帰属のバイアスによって偏見やステレオタイプの維持に影響を及ぼしています。

・原因帰属:人の行動あるいは現象の原因が何であるかを推論すること
・バイアス:偏りや歪み

例えば、作中では、【家族 対 地域の人達】の構図で描かれていました。

家族内で、自分たちの方が人格や能力的に優れており、家族内の望ましい行為は、自分たちの成果(ポジティブな感情)に、
逆に、家族内で望ましくない行為は、外のコミュニティが原因(ネガティブな感情)と捉えられます。

これは、両親の目線で、【聴こえる主人公 対 聴こえない家族(両親と兄弟)】の構図でも描かれていました。

主人公は、家業を学校の合間に行いながら、時に両親の受診の際など、聴こえる大人と両親の間に入って、通訳の役割を担ってきました。

『Coda あいのうた』では、手話で育てられてきた主人公が、発音がおかしいと進学してから友達から指摘されたと話しています。

つまり、音声会話のない手話環境で育ってきた主人公にとって、手話が第一言語であり、英語は第二言語。

就学して、英語での学習に戸惑ったり、コミュニケーションをとる中で、英語の周囲との発音の差に羞恥心を覚えたという意味だと推測できます。

また、第二言語だと100%の思いを伝えられないと感じる心境は、
環境は違えど、自身がオーストラリア留学時に経験したことなので、その鬱屈とした思いが
劇中の、顧問の先生とののレッスンで昇華されたシーンはとても印象的でした。

歌に乗せて届ける想い


主人公の生活は、「」で表現する手段と出会うことで変化を迎えます。

歌の顧問の先生が、主人公を歌の発表会のデュオに選ぶのです。

その発表会での演出も素晴らしく、はじめに歌っている主人公の様子が映し出され、その後、両親や兄弟の世界「音のない世界」に徐々に切り替わります。

『エール!』では、主人公が、家族に隠れるように歌の練習を進めてきたことを責められ、「家族を見捨てると思われたくなかった」と答えるシーンがあります。

改めて、犠牲参加が、この映画のテーマとして色濃く描かれていると感じました。

マイノリティへの偏見

「聴こえないから」
「認知症を患って、すぐに忘れてしまうから」
「性的指向が、自分たちとは違うから」
「言葉が通じないから」
様々な偏見やステレオタイプに世の中溢れています。

「あの人たちとは違う」と思うこと、自分の所属する集団内の仲間に対する、思いやりの裏返しです。

多様性を尊重した社会となるために、まだまだ変えていくことのできるマインドセットがあることに気付くことができた映画でした。

・マインドセット:これまでの経験や教育、先入観から作られる思考パターン、固定化された考え方のこと「無意識の思考のクセ・思い込み」

ご興味をお持ちいただけましたら、ぜひ、ご覧ください。