「私はできる」という、心の声をきく
言葉を受けて
続いて、認知症対応デイサービスでお出会いした、Bさんのお話です。
Bさんは、お子さんご家族とご同居されています。
週に数度の頻度で、ご自宅からデイに通われている方です。
快活な方で、こちらから「お手伝いしていただけますか?」とお願いすると、いつも「しゃあないな~」と言いながら、ニコニコと積極的に、料理や掃除の作業をこなしてくださいます。
スタッフが手順を示すと、さすが主婦!と感嘆する程、手際よく、こなしてくださいます。
そんなある日、ご家族様から、本人が「デイに行くと、料理やら掃除をやらされ、疲れる」と話していた、とスタッフに告げられました。
以前から、お誘いしても、「今日はあかんな」とお手伝いを断られる日もありましたし、もちろん無理のないように配慮はしていましたが、時に足元がふらつくことがありました。
そんな時は、スタッフから飲み物を提供し、ソファで休んでいただくなどの対応をしていました。
はた目には、「ありがとう」と人から言われることで、充実感を持ってデイでの時間をおくられているように見受けられたので、Bさんの言葉に、スタッフは反省と共に、少々戸惑いました。
そして、Bさんのその言葉を受け、スタッフ間では、ミーティングの機会を設けました。
方針として、”体調を窺い、しんどくなければお手伝いしてもらう”、引き続き、仕事をお手伝いくださる時には、“疲労が出てきてないか注意を払い、適宜休憩をとっていただく”、”仕事を頼みすぎない”、ということを決定しました。
Bさんは認知症があるため、ご家族様に対する、ご自身の発言は忘れていました。
その後も、Bさんは、デイでは、スタッフが休憩を促しても、「やったるわ~」と言いながら、これまでと同様に、いきいきと、働いてくださいます。
Bさんの心の声を考える
自宅でのBさんの発言と、Bさんのデイでのご様子に、なぜこんなにも差が生じるのか。
これまでの流れの中から、ご住宅での本音と、デイでの建前を使い分けている。
つまり、社会性が維持されている、とも取れます。
加えて、Bさんの発言は、防衛的戦術的自己呈示からきている可能性も示唆されます。
- 自己呈示とは、他人に対して特定の印象を与えるために、自己に関する情報を調整して伝達する方法です。
- ここでいう、防衛的戦術的自己呈示は、自尊心の維持に関する動機が、理由の可能性があります。
なぜなら、朝に、デイ送迎のために訪問すると、高確率でBさんは台所に立っておられ、
「今、掃除しようとしてた。朝食作ろうとしてた。」
といつも話されていたからです。
実際に、料理は作ってはおられず、その努力の跡として、食べ物やその空き袋が台所に、散らばっていることもありました。
Bさんは、長年ご家庭をまもられてきた、主婦です。
このことから、Bさんの「デイに行くと、料理やら掃除をやらされ疲れる」という言葉は、そのままの意味だけを取るのではなく、デイで、積み重ねた達成経験から、Bさんの中で「私はできる」という自己効力感の高まりがあったのではないかと推察できます。
Bさんは、ご家族様にも、デイでするように、料理も洗濯も掃除もできることを伝えたかったのではないでしょうか。
これこそが、Bさんが、ご家族様に、伝えたかった心の声なのかもしれません。
もしそうであれば、発言の後の、デイでのBさんの変わらぬご様子が説明できます。
デイでの活動量を減らすように対策しましたが、また違った視点で関わることが必要な段階にきているのかもしれません。
人の感情は生き続ける
認知症と一口に言っても、お一人お一人の、類型が違い、進行度が違い、何より生きてこられた歴史や性格が異なります。
例えば、野菜を洗い、水を切り、程よい大きさにちぎる(デイの昼ご飯ですので、誤嚥を防ぐための予防を必要としている方への、食事形態の配慮はもちろん必要です)
この作業一つとっても、お昼ごはん用のサニーレタスが、人によって、几帳面にほぼ同じ一口サイズに小さくちぎられていたり、時には、株から捥がされたまま、一枚そのままドーンっと、お皿に入っていることもあります。
そんな時、周囲が、失敗を失敗と思わない対応をとることは、次への意欲につながるかどうか、とても大切です。
できないこと配慮がなされ、間違いを正すのではなく、ご本人がしたことを周りがサポートする。
1枚丸々お皿に盛ってある、サニーレタスも、「ウサギになった気分ですね」と笑いながら一緒に、美味しく食べることができます。
スタッフもご家族様も、みんな一緒に日々を楽しむパートナーでいることができれば、できなくなること=みじめなこと ではなくなります。
Bさんの言葉からもわかるように、人の感情は生き続けます。
その時の、周囲との関係や、自分自身の行動によって、考え方は再形成されます。
その方が、何かを、感じ、考え、行動することをいつまでも大切にしたいと考えています。