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安心って大切 不安はどこからきているの?

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安心できる場所に、帰りたい!


認知症の方の中には、「家に帰ります」と頻繁に訴えたり、

実際にその場所から出ていこうとする方がいらっしゃいます。

特に、薄暗くなり始める夕方の時間帯に、このような「帰宅願望」が認められます。

その「帰りたい」、帰宅先は、伺ってみると、施設に入居する前の自宅だけを指すのでなく、

生まれ育った故郷であったり、仲の良い家族や兄弟のいる場所や、

具体的な場所はわからないけれど、「安心できる、どこか」だったりします。

不安になると、誰しも安心してできる場所を求める

これは、誰しも当たり前のことだと思います。

実は私にも、「帰りたい」を強く自覚した経験があります。

オーストラリアに福祉の勉強のために留学した時、

シェアハウスしている友人のご両親のホームパーティーに招待されました。

参加されている方は、気さくで、とても良い方ばかりだったのですが、

既に顔なじみ同士で、出来上がっている輪の中で

身の置き所がなくて、とても帰りたくなったのです。

また、輪をかけて、ネイティブの英語スピーカーの集団の中で

内容も、日本語でも考えたこともない、政治などの難しいトピックだったりと

単語がところどころ聞き取れるか、聞き取れないか、自信のない状態でした。

特に辛かったのは、冗談が理解できず、一緒のタイミングで笑えなかったり…

“おもしろい”という感情を共有できない時、とても疎外感を感じました。

おうちは、海の向こう…

オーストラリアに留学してからはじめて

心の底から、日本の家族の元へ、帰りたくなった瞬間でした。

日本の家族の元、というのは、私自分が安心して拠り所になる空間ですね。

もしかして、帰宅願望って?


認知症の方の「帰りたい」も、この感覚に似ているのかもしれないと身を持って感じました。

盛り上がっている、会話の輪の中にいると、理解できない「単語」がでてくる。

たまに話を振られても、自分の中の、「言葉」「知識」が、頭の引きだしの中にみつからない。

見つかったとしても、その「単語」が出てこない。

そして、そんなもどかしい感情を、グループで進んでいる会話を止めて、いちいち表現することができない。

この漠然とした、居心地の悪さからくる不快感疎外感は、

今自分がどこにいるのかがわからない、安心できる場所にいないと感じている、

認知症の方が抱える、いわゆる帰宅願望を訴える原因ではないでしょうか。

つまり、不安の根源は、わからないこと、からきています。

わかることを積み上げる


では、どうすれば不安を最小限に過ごしていただけるでしょうか。

それは、わからないことに出会わせないことです。

そして、その人にとっての、わかることを日々の中で、積み上げていきます。

何がその人の得意なこと、時間を忘れてとりくめるもの、夢中になれる何か?を考えます。

そして、その得意なことの中から、自分で選んでいただけるようにする

(「えらぶこと」は、次回のブログのテーマです。)

例えば、

洗濯物たたみやお茶くみ、などの、これまでの人生の中で、

ずっとされてきて、

誰かのためにしてあげる作業(モンテッソーリケアでは役割とよびます)をお願いする。

その方ができることを、できるだけ長く続けていただけるよう、毎日繰り返すことは重要です。

そして、毎日したことに対して、

「ありがとう」を言われることで、コミュニティに貢献しているという自負達成感を持っていただく

そういった毎日の積み重ねの中で、信頼関係が構築されると

疎外感を感じずにすむ環境となり、

自分の居場所はここだ、と思える安心感を持っていただけるようになります。

「安心できる場所を提供する」ためには、

言語的なコミュニケーションだけでなく、前回のテーマのような

スケジューリングなどの視覚的支援を使用し、時間の感覚を持っていただくことも効果的です。

その人にとっての安心できる場所はどこか 

それまでと生きてきた、その人の人生を知ることが重要になります。

その人らしさとは、「自我が維持できる」ことを指すのではないでしょうか。

自我を維持することは、「人の尊厳」に関わります。