努力するのを手伝って
私の看護観を少し初めにお話しします。
新人看護師の時、頑張りたいという気持ちを、ひきだせる看護師になりたいと思っていました。
看護師になってから10年経ち、今も
可能性を信じることのできる看護師になりたいと思っています。
この思いの根底には、人はいくつになっても、障がいがあっても
自分で自分を幸せにできる
努力してできるようになる
可能性を秘めていると思うからです。
どうして?を持ち続ける
私が働く高齢者施設では、
一人ひとり得意なことも様々中、得意分野を活かしながら、皆さんゆっくりと過ごされています。
その得意なこと=長所を生かすことが、成功のカギなのだと思います。
これは、その人の趣味や長所を伸ばす
「モンテッソーリケア」と共通します。
また、障害者デイサービスでは、
皆好きなものが違ったり、人とコミュニケーションをとる方法も違います。
中には、思いを言葉にすることが難しい方もいて、
ジェスチャーや表情で訴えられると、
どんな対応が良いのかわからず、試行錯誤の連続です。
どうして大きな声がでるのだろう?
飛び跳ねるのはなぜなんだろう?
いつも動いていると疲れないのかしら?
とはじめのうち、疑問に思うことがありました。
これらは、自閉症に特徴的なご様子です。
これらのどうして?のヒントを得たくて、自閉症の当事者さんが書かれた本を読みました。
とても有名な本なので、既に、読まれた方もいらっしゃると思います。
「自閉症の僕が跳びはねる理由」
自閉症の当事者である、東田直樹さんが中学生の時に書かれた本です。
私の疑問に対する答えを、まさに東田さんは本の中で書いてくださってました。
もちろん、自閉症の方すべてが同じことを思っているわけではないでしょうけれど
ヒントや気付きが、たくさんちりばめられた本でした。
その中で、「何かをやらされることはきらいですか?」という質問に、
東田さんが答えている箇所があります。
ずっと、僕たちを見ていて欲しいのです。見ていてというのは、教えることをあきらめないで下さいということです。どうして見ていてという表現を使ったかというと、見ていてくれるだけでも、僕たちは強くなれるからです。(中略)頑張りたい気持ちはみんなと同じなのです。(中略)どうか、僕たちが努力するのを最後まで手伝ってください。
自閉症の僕が跳びはねる理由 東田直樹著より
ひとりでできるように手伝って
モンテッソーリケアの中に、
「ひとりでできるように手伝って」という概念があります。
モンテッソーリ教育では、子どもは自ら育つ力を生来持っている。大人はお手本を見せることで導く、という考え方です。
この考え方は、障がい者のサポート(今回は自閉症について述べていますが)と
共通していると思います。
東田さんの仰る「見ていて」は見守ることを指していると考えます。
見守ることは、心の余裕と根気が要ります。
やってあげた方が、早くて、正確で、それがその人のためと思われがちですが、
実は、やってあげることで、その人の頑張りたいという意欲やできる能力を奪っている側面もあります。
支援する側が、本人に自分からする自由を、意図的に与えるという視点は必要です。
できないところを見極めて、忘れてしまっている1つ1つの手順にゆっくり、精密に介入するサポート。
モンテッソーリケアの中でも
私が一番感銘を受け、実現させていきたいことは、
前にも述べましたが、違いを認め合い、失敗を恐れず、自分でチャレンジできる環境づくりです。
失敗を恐れず、といっても、毎回できないままでは人間落ち込みますので
失敗しづらい環境づくり(次回のブログのテーマです)を作ることも大切です。
東田さんが本の中で仰る、自閉症の方への理解が進み
「希望の光」が見える日を
また、人間にだれしも訪れる
「老い」と共に、
得意なことを伸ばしながら
幸せに生きていけるよう、どうサポートできるのか?
今日も勉強と研鑽の毎日です。